[写真あり]磐田駅前ジュビロードの現在は?おもちゃ屋、ゲームショップは?


皆さまこんにちは。只今私管理人、帰省中でございます。

本日はゲームの記事はお休みし、私の実家は静岡県磐田市のメインストリート「ジュビロード」について。

Jリーグのジュビロ磐田のホームタウンでもあるだけあって、メインとなる商店街はチームを推し出しジュビロードと名付けられております。ジュビロ発足当初1990年代前半頃には日用雑貨からおもちゃ、レコード店と大きな賑わいを見せていた通り。アラフォーの私も約30年近く前、塾の帰りにゲームソフトやレコードを買ったり、おもちゃ屋の筐体でアーケードゲームを楽しんだりしたもの。

あれから数十年、同じく磐田市には巨大ショッピングモール「ららぽーと」も建設され、ジュビロードは一体どのような変貌を遂げているのか?そしてゲームブログらしく、当初楽しんでいたゲームショップやおもちゃ屋さんはどうなっているのか?

久しぶりに訪れてみました。

磐田駅の駅舎は改装。周辺には飲食店も多め

磐田駅を降りるとジュビロ磐田のマスコットキャラクター「ジュビロくん」がお出迎え。名前、もう少しひねったり捩(もじ)ったりしても良かったんじゃないかと思うほどそのまんまだけど、まあいいかとも思う。

ちなみにメス?のキャラクターは「ジュビィちゃん」。

そうそう、J2からJ1に昇格したんだよね、良かった。

ジュビロードがあるのは磐田駅から北口を降りた目と鼻の先。

磐田駅の駅舎は2000年に改装、もう結構前になるのね。


改装前、私が当時慣れ親しんだ磐田駅はそれはそれは地獄のような汚い駅でした。

忘れもしないのが、私は高校生の頃、小汚い頃の磐田駅のホームでフットボールアワーの岩尾さんにそっくりな女性にファーストキスを奪われたのだ。

当時の心の傷を包み隠さず妻に思わず打ち明けた時、ここ一番微妙な表情をされました、言わなきゃ良かった。岩尾さん、元気かな。

北口を降りてすぐ左手にはその昔、確かゲームソフトや何かを取り扱っていたメディアショップが存在していたはず。そこへ足を運んでみると…


鮮魚貝焼「じゃん」という網焼きと思しき居酒屋に変わっている。焼肉や魚介を焼いて食べるのでしょうか、美味そうですね。そしてその二階には「ラウンジ ヴァシュロン」という怪しげな看板が。暴走族よろしく漢字で「美酒乱」と当てられたその店はキャバクラの模様。キャバクラはともかくとしてその当て字はなんだかなあと思う。特に「乱(ロン)」のところ。あ、「美(ヴァ)」のとこもか。もう全部おかしいって。

とにかく、かつて存在していたメディアショップは当然無くなっていました。時々ゲームボーイソフトを買っていたんですけどね。ゲームボーイの「ONI」とか売っていた頃だから、あれは1990年頃だったか。

見事なまでのシャッター街と化していたジュビロード。

さて、言ってもここは駅前。いよいよ本題のジュビロードへ足を踏み入れてみようじゃないか。散策当日は土曜日の昼間15時頃。商売には格好の時間帯。でありながら、走る車のあまりにも少ないことに加え、歩く人はほぼご老人ばかり。

20年も30年も経てば、町も人も変わるもの。それにしてもその寂れ加減たるや想像の斜め上を行っていました。

そういえばジュビロードへ足を踏み入れるとすぐ左手にはかつてレコード店があったはず。


そこには目のクリクリした可愛い女性がいつもレジに立っていたけれど、当時仮に彼女が20歳前後だったとすると、今はおそらく約50歳くらいになっているのか。今はどうなっているのか、会ってみたい気もするしもしかしたらもうお孫さんでも産まれてたりしてねとか考えると複雑な気持ちになる。

かつてレコ屋があったその場所は現在店舗が入っておらず。一説によると直前まで場末感満載のフィリピンパブだったという噂もあり、かつての甘酸っぱい思い出とかもうどうでもよくなってくる。

そのまま先へ進んでみると、こちらは古くからありそうな佇まいのアパレル店「ファッションGUY(ガイ)」が。

各店舗には、もうジュビロを推す体力も残っていないような色あせた選手のポスターが。

アパレル店というと聞こえは良いが、面白日本語Tシャツなんかがたくさんあり、「楽しい事だけ本気出す」とか「他人の金で酒が飲みたい」といった、まさに今のジュビロードを端的に言い表しているような大雑把な言葉のプリントが施されている。それで良いのか?きっと良いんです。

そのまま歩いて行くと、ジュビロードの「今」が見えてきます。おそらく昭和40〜50年頃にでも建てられた建物は、当時から脈々と続いていそうないい感じの八百屋さんも。

お店に立つのはかなり高齢の女性。私が学生だった当時は寄りもしなかったけれど、きっとまだオバちゃんだったのかもしれない。そう考えると、話したこともないその女性が未だ店頭に立ってらっしゃることも嬉しかったし、言葉に表せない感傷的な気持ちになる。何の気無しに商品を見てみると…

超安い。地産地消を思わせる「いわた」の文字が書かれたその野菜は、レタス丸々一つ50円、4つ5つ入ったナスが98円、その他高級ブランド柿など東京で変えば3〜4倍はしそうなものが格安で売られていたりすることにビックリ!

中にはオシャレなパン屋さんも。

中には場違いなほどおしゃれな店構えを持つお店も。

最近できたと思しきそのお店は「TRASPARENTE La Luce(トラスパレンテ ラ ルーチェ)」というパン屋さん。

お店はシャッター街の中心地に広い敷地を持ち、テラスでも食べられる小粋なたたずまい。土曜の昼3時頃、レジには10人くらい、主に若い女性の列が並んでいました。


と、ここで疲れが見えてきた娘(4歳)にガソリンを注入すべく、表に出ていた美味しそうなアイスクリームを注文することに。

味はバニラとバニラチョコとバニラストロベリーの3種類があり、娘はストロベリーをチョイス。これを食べてあともう15分だけパパのジュビロード散策に付き合ってね。と頼んでいる間にソフトクリーム登場。

下手過ぎやしないか?

一見食べ途中のアイスに見えなくもないが、未だ一口も口をつけていない状態。写真とのあまりのギャップに思わず二度見。

用意しているお姉さんが、パン屋さんにも関わらず入ったアイスの注文に少し戸惑いを見せていたため嫌な予感はしたけれど。もう少し上手にできても良いんじゃないか?ぐるぐる巻き。

お店の名誉の為に申し上げると、味はおいしかったです。あと主力商品のパンはどれもすげー良い香りでめちゃくちゃ美味そうだった。食べてないけど。

そして通りは様々な店舗が存在しつつも、どのお店も失礼ながら年期の入った佇まいで、お客さんはほぼゼロ。

一見古そうに見えて…

本当に古い。

ジュビロード中央付近にある画材屋さんの写真、ここだけ切り取って見てみると、戦後の時代にタイムスリップしたような佇まいですが、現在2018年。

その他の店についても老朽化は激しく。

新聞の販売店の看板もこの有様。毎日新聞の方に怒られるんじゃないか?あ、ひょっとしたら新聞社に共感できない店主が当てつけでこのままにしているのか?とか書いてみたりするとちょっと変な感じになってきちゃうのでやめておきましょうか。

ゲームショップ「カメレオンクラブ」やおもちゃ屋「おわりや」は?

さて、本ブログらしくゲームショップやおもちゃ屋について。

このジュビロードにはかつてゲームショップ「カメレオンクラブ」やおもちゃ屋「おわりや」がありました。小・中学生の頃に塾の帰りによく寄って、少ない小遣いと値札を見比べたり、同じ塾に通う仲間とキングオブモンスターズやワールドヒーローズを筐体で遊んだものだ。

まずはゲームショップカメレオンクラブの場所から。

かつてのカメクラは現在整骨院になっており、当時の面影は微塵も無く。だけど敷地の広さからあの頃このあたりにゲームボーイの棚が、そしてこのあたりにMOTHER2のポスターが、そしてプレイステーションのアークザラッドがモニターに流れていた、なんてことをなんとなく覚えている。ということは、1995年にはまだカメクラは存在していたわけか。とは言ってももう20年以上も前だけど。

続いて「おわりや」。カメクラよりも後まで続いていたおもちゃ屋の老舗。たしか私はファミコンの「ウルトラマン倶楽部」や「ドラゴンボール悟空伝」、ゲームボーイの「ベリウス2」にスーファミの「アレサ」なんていう渋いものを買った気がする。

かつておわりやがあったジュビロードの端のその場所は、お惣菜屋さんとその大きな駐車場に変わっていた。当時の店員さんは確か結構なお年を召したおばあちゃんだった気がするけれど、お店を閉めるまでに色んな思いがあったのかもしれない。センチメンタル。

※2021年6月11日追記:おわりやの建物は残っており「菊屋 蚊帳の博物館」になっているとのことです、情報提供者様、ご指摘いただきましてありがとうございました。

できた当時は綺麗だった通りの最果てにある家電屋さんも、こうして見るとボロくなった。

実はジュビロード以外でも、ちょっと通りを外れるとかつては「ファミコンショップエマーソン」や建物に王冠が印象的なおもちゃ屋「こまつや」など、子供も楽しい街だった磐田市。少子化なのか、はたまたジュビロの降格による影響か、巨大ショッピングモールの登場や時代の煽りを受けてか駅周辺のおもちゃ屋は壊滅。

いつの時代も当時を懐かしく思うものではありますが、子供時代に胸をときめかせた商店街の移り変わりというものは寂しいものです。

酷い有様だけ取り上げているようですが、私自身は郷土愛が強い方でして、ぜひ磐田には勢いを盛り返していただき、学生や若い世代が家と学校でのストレスからの息抜きに立ち寄れるような癒しの場になって欲しいものです。

頑張れ磐田!


この記事へのコメント

  1. 磐田市在住です。昔のジュビロードはどのくらい賑わっていたのだろうと思って調べたらこのブログを見つけました。
    私は閑散としているシャッター街のジュビロードしか知らなかったですが賑わ、このブログで日用品やおもちゃ、レコード店があって賑わっていたことを知りました。
    わたしまで感傷的な気持ちになってなんだか磐田市を応援したくなる気分です。
    面白い記事でした。楽しいませていただきました。

    3+
  2. わたくしも磐田市在住です。
    懐かしく読ませていただきました。
    おもちゃの村上
    おもちゃの森
    おわりや
    こまつや
    などありましたね。こまつやは滑り台とかあってしかもお城のデザイン。昔の磐田はアーケード街の先駆けとなる商店街共同ビルなどあって活気がありましたね。
    カメレオンクラブの北側に「ヤオハン」もあったんですよ。
    ユニーも駅前にありました。その横の細い路地を入っていくと「フードセンター」というスーパーもありました。

    ちなみに「おわりや」の建物はそのまま残っていて「菊屋 蚊帳の博物館」になってますよ。画材屋アオシマの南隣りです。

    3+
  3. 皆様
    いつもコメントいただきましてありがとうございます、管理人でございます。

    私が住んでいたのは豊田町でございまして。それでも週に2〜3日通っていたクラゼミの行き帰りによくジュビロードで過ごし、当時のジュビロードは熟知?していたつもりですが、知らないことも多く、いただいたコメントを「へ〜!」と声に出しながら拝見しておりました。おもちゃの森(懐かしい…!)や駅前ユニーをご存知ということは、私よりももう少し先輩かもしれません、勉強いたします…!おわりやの情報もありがとうございました、あまりにも景色が変わり過ぎていて見間違えてしまったようです…。

    現在お住まいの若い方、新たに越して来られた方も(ようこそ磐田へ!)当時の様子をお知りになるとまた感慨深く思われるかもしれませんね。学生から働き盛りまで、とても活気に溢れていたんですよ!

    あれから30〜40年、仕事も生活もインターネットでまかなえることが増え、時代や情勢の面でも都心で暮らす意味みたいなものを私自身考え直すことが多くなって参りました。年に一度帰省の時にでも足を向けるかどうかのジュビロードになってしまいましたが、どこか気持ちは少しずつ、今も家族や友人が暮らす磐田に向かっている自分もいます。

    全国で見れば所詮はどこかの小さな街ですが、こうして当時の様子を残してくださることは、私にとっても大変嬉しいことです。ありがとうございます。

    サイト運営上なかなか全てのコメントに反応できず申し訳ないのですが、全てのコメント一語一句有り難く拝見しておりますので、また引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

    2+
  4. 懐かしいですね
    おわりやでファミコンソフト買いました。
    フードセンターも行きましたね。
    その前にブロイラーとかありましたね。
    双葉スポーツ、電気堂、かにやのラーメン、矢島屋書店、どうなってるんでしょうかね?

    今度見に行ってみます。

    私は久保町の出身です。

    1+
  5. 郷土を去って30年。
    懐かしさと寂しさで感傷的になりました。
    レコード屋はイケヤですね。サウンドマツオカもありました。
    いい記事をありがとうございます。

    2+
  6.  小説家の山田詠美氏が、昭和40年代前半、小学生の時に父親の転勤で磐田市に住んでいた頃の思い出をあちこちに書いている。まとめて書いたものとしては、雑誌「Brutus」(旅に持っていく本!全263冊 2005/11/1号)の記事がある。
     それによると、磐田市は山田詠美氏にとっては、小説家の原風景ともいうべき特別の土地になっているらしい。

     「父の転勤に伴い、日本各地に移り住んだ。そして、大人になって、世界各地を訪れた。それなのに、一番鮮烈に思い出すのは、あの片田舎(注:磐田市)なのである、物書きとして将来を決定づけたのは、土地と人々を眼に焼き付けることを覚えたあの日々なのである。」(Brutus)

     山田氏の父親の勤務先は、現在のヤマハ発動機磐田南工場の所在地(磐田市天竜800 東海道新幹線高架横)にあった帝国繊維株式会社磐田工場で、当時の磐田市には珍しく非常にモダンな工場だった。

     「磐田工場の広い敷地には、すべての施設か完備され、生活するためだけなら、そこから外にでる必要がなかった。日常の買い物は、ほとんど敷地内のスーパーと外部からの御用聞きですませていたと記憶している。美容院もクリニックもあったし、共同浴場もあった。」(「Brutus」)

     その他にも、公園、スイミング・プール、講演、ゴルフ練習場まで揃っていた。これほど施設が充実した特権的な別天地の社宅に住んでいる子供は、当時の磐田っ子から「テイセン子」と呼ばれ、よそ者扱いされていた。山田氏も小学校ではずいぶんひどめにあったらしい(通学したのは磐田市立南小学校)。この時の体験は「晩年の子供」(の中の短編)「風葬の教室」「学問」などの小説に活かされている。「学問」に描かれている亀島海岸とは遠州灘の一部である鮫島海岸のことである。
     「Brutus」の記事では「おわりや」のことにも触れている。

     「その昔、私は祖母が遊びにくるたびに、この通り(注:現在の磐田駅前ジュビロ通り)にあったおもちゃ屋さんに連れて行ってくれとせがんだ。ペパーちゃんとタミーちゃんという着せ替え人形と、その関連グッズが欲しくたまらなかったのだ。」
     
     子供の頃の一時期に滞在した磐田市に、これほどの思い出、思い入れ(「物書きとして将来を決定づけた」土地と人々)を持つ作家は山田詠美氏以外、おそらく、皆無であろう。記念館を作ってもいいくらいである。

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  7. 山田詠美氏のエッセイ集「熱血ポンちゃんシリーズ」は、1990年から2015年まで25年に渡って全14冊が刊行された。その中で山田氏は、しばしば磐田市の思い出に触れている。触れているというより、日常生活でなんらかの体験をすると、幼い頃に過ごした磐田のことがふと浮かんでくるのである。作家・山田詠美の、おそらく終生消えることのない心象風景である。「道草の原点」である。

     「静岡県に住んでいた頃のことである。
     父の工場裏には、広大な空き地が広がっていた。そこは水はけ悪かったのか、一面、湿地地帯状態であった。危ないから行っては駄目だと親たちにきつく言われていた社宅の子供だったが、冒険したくて、いても立ってもいられない。とうとう我慢出来なくなり、私達は探検隊を結成した。名付けて「エルマー隊」(「エルマーの冒険」という児童書の受け売り)。そして用意周到な計画を練り、その敷地に入り込んだのである。そこで目にしたものは、ああ、今でも鳥肌が立つのだが、見渡す限りの水溜りを埋め尽くす小さなおたまじゃくしであった!そう、地面全体が、ドット柄だったんだよう。男子が水に手を浸して引き上げると、直径五ミリ程のおたまじゃくしが、びっしりと付いて来た。あーれー、これが全部蛙になったら、どうなっちゃうの?私たち征服されちゃうんじゃんないの?そう思って慌てたのである。と、同時に、子供心に生命力の強さを感じて、打ちのめされていた。まだ、その頃は、強さとはかなさが裏腹であることには思いが及ばない。」(「熱血ポンちゃんから騒ぎ」新潮社 2013年5月)

     現在の磐田市南部は(無計画な)開発が進み様変わりしたとはいえ、遠州灘へ近づけば近づくほど、昔日の牧歌的風景の面影がなんとか伺えないこともない。しかし、山田氏の子供の頃は完璧な田園地帯で、「小さな私には稲穂の地平線があった。地球は広いなあ、と感じた」(山田詠美「道草の原点」)ほどの開放感&解放感が広がり、その一角には湿地地帯状態の広大な空き地があって、おたまじゃくしがうじゃうじゃ生息しているような土地柄だった。

     「会社の敷地から出ると水田が見渡す限り広がっていた。その間の畦道を歩いて小学校までの長い道のりを歩いた。季節の移り変わりにつれて、色彩も見事に変化した。色の宝庫だった。とりわけ、れんげ草の季節には、目眩を起こしそうなくらいだった。毎日、摘んで花束を作り持ち帰った。蛇の抜け殻も集めた。川を流れる動物の死体を棒切れで必死に拾い上げ、お墓を作った。通学路は道草天国だったのである。」(山田詠美「道草の原点」)

     山田詠美氏の(危うい舟をあやつり悩みがならの弱く暗い漂蕩の)「道草人生」の原点ーーそれは、磐田市の原風景、田園地帯にあった。

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