私にとってファミコン「MOTHER(マザー)」の魅力とは。


本日7月27日は、あのカルト的人気を博したファミコンの超名作RPG「MOTHER(マザー)」の発売日。1989年の発売から過ぎた約30年を振り返ってみると、本当に時間が経つのって早いなとつくづく感じます。子供の頃なんて、あんなに毎日早く大人になりたいと思ってたのに。不思議なものだ。

30年近く経った今でもMOTHERは私にとって特別なゲームであることは変わらず。なぜふとした時にあの映像を思い出すのか?これまでその理由と向き合ってきませんでした。「なんだ、そういうことか」とその正体を知ることで、長い余韻から覚めてしまうような気がして。

こうしてブログを通じてゲームについて発信する立場になった今、これまで約30年の私とMOTHERとの関わりについて振り返りながら、自分にとってMOTHERはどんなゲームだったのか見つめ直すことにしました。

小学4年生、初めてのMOTHERに揺さぶられる冒険心。

MOTHERが不思議なのは、プレイする時期によって捉え方が変わること。

MOTHERとの出会いは私が小学校4年生の時、デパートのおもちゃ売り場で試遊台としてデモ展示されていました。カセットに印字されたMOTHERのスペルも当時は読めず、真っ赤なパッケージの記憶を頼りに後日誕生日に別のお店で買ってもらいました。

マザー

RPGといえば剣と魔法の世界が定石だった当時。主人公には自分の名前を付けていた当時の私は、バットを握って帽子をかぶってどこか田舎町を歩き回るニンテンの素朴な姿、「おにいさん」や「おじさん」がうろつくありふれた世界の佇まいに感銘を受けたのを覚えています。

ところがいざゲームを始めてみると、最初の町「マザーズデイ」をちょっと外れたらそこには墓場があって、なんなら町の中にちょっとだけゾンビが入り込んでいたりするわけです。ホラー映画の予告がテレビで流れるだけで小さくなっていた小学生当時の自分には、デフォルメされた2頭身のNPCもBGMすらもそれがゾンビっていうだけで何もかも怖かった。

そんな場面に限ってパーティーのメンバーは主人公一人ぼっち。持てる勇気のほどを確かめながら恐る恐る墓場に足を踏み入れ、牛歩の如く未開の地へ足を伸ばす。そこから先は先で、野放しの動物園やサイケデリックな魔法の国、誰もいないスクラップ工場。でもその世界こそが、弱虫だった自分を奮い立たせてくれる等身大の冒険そのものでした。

後半に進むにつれてゲームはますます難しくなっていき、やがて3人目の仲間アナが加わったあたりで断念。

程なくして我が家はスーパーファミコンを迎え入れます。誰が片付けたのかわからないままMOTHERはファミコンと一緒に押入れの奥へ追いやられ、時々家中何かを探し回る機会に赤いカセットが顔を覗かせる程度に。

大学時代に初めてMOTHERをクリア。自分の未熟さと、絶対的な両親の存在を知る。

やがて大学生になり、単身上京。

当時私は大学のサークル、アルバイト、交際していた彼女との生活に明け暮れ、ゲームの無い生活でもそれなりに充実した日を過ごしていました。

そんな大学生活のある日、東京渋谷のセンター街にあった家電量販店でたまたまゲームボーイアドバンスに移植されたMOTHER1+2を発見。クリアできなかった当時を振り返って、もう一度挑戦してみようと一心発起し購入。20年以上の時を経て、ついにMOTHERをクリア。

家から出れば、泊まるにしても電話をかけるにしても自分で探し、お金を下ろし、払う。外の世界にはそれなりのルールや流儀がある。だけど、そういう一切の作法を度外視してくれるのが母親の存在。

ホテルを探すのが面倒だったら、テレポーテーションで家に帰ればいつだって大好きな献立を用意して待っていてくれるのだ。自立したつもりでいたけれど、やっぱり帰って来てしまう。

やがて就職も決まり、当時の生活をゲームにたとえればいい加減後半に差し掛かったあたりだと思っていた。親元を離れてからいかにこれまで自分が一人で努力して、認められてきたか。意気揚々と語る息子を見て、笑顔だった母は何を思っていたのだろうか。そして父は少しだけ離れたところからやっぱりいつも自分の頑張りを見ていてくれるのだ。

だけどそれまでの自分の人生をMOTHERに置き換えてみると、その過程はまだまだ家を出たばかりの序盤だったのかもしれない。ましてや小学校4年生だった当時、そんな両親の存在について考えることもなかった。

父親になってから、MOTHERの主人公は自分の子供に。

そして子供が生まれてから、これがいちばん強烈。

子供が生まれてから、私の人生における主人公が自分から子供に変わった。これはとても不思議な感覚だった。

ひとつ断りを入れておくと、私は自分の生活全てをなげうったり恋人を疎ましく思ったりと子供を溺愛するタイプの父親ではない。他のパパさんの振る舞いを見ては自分の未熟さ故自信を無くすことだって少なくない。だけど、自分のこれまでの人生が娘の為だったようなあの感覚は、愛情の深さとは違う何かもっと本能的なものの気がする。

そんな中、ファミコンやアドバンスのソフトを動かせるレトロフリークを購入し、押入れに眠っていたMOTHERを引っ張り出して久しぶりにプレイ。

かつて主人公に自身の名前を付けた私が無意識にニンテンに重ねたのは娘の姿。MOTHERを通じて、私が小学生で過ごした経験や、これから娘に降りかかるであろう困難や逆境を考えると、なんとも胸がいっぱいになる。

これから先この子供たちは得体の知れない恐怖や未知の存在との対峙をしていくのでしょう。宇宙人との対面、大人が連れ去られ、自分たちだけが残された絶望的なシチュエーション。それを目の当たりにして、子供たちは何を思うのだろう。だけどニンテンもロイドもアナも頑なに無表情を決め込む。事態は子供たちが思っている以上に深刻な場合もある。なのに、彼らのそんな無邪気さが切なくて胸が締め付けられる思いだ。

我々大人が知らないところで、それでも子供たちはでっかい世界をおっかなびっくり歩んでいき、少しずつ成長していく。この残酷なまでの不安と、それを乗り越えた時にやってくる魂の浄化とが交互に激しく押し寄せてくる。

こんなに感情を揺さぶられるとは、初めてMOTHERをクリアした大学生の頃は想像もしなかった。

私にとってファミコン「MOTHER」とは。

さて。このマザーについて語るうえで、このサイトのあり方をもう一度見つめ直す機会にもなりました。たくさんのゲームブログがある中で、色々な角度から考察されあれこれと思いを巡らせられるマザーを語るということは、すなわちそのサイトの考え方や価値観を改めて明示するものであって、それくらいの覚悟を持って記事にしました。

それほどマザーというものは人に愛され、人によって解釈が違い、思い入れのある大切なゲームだと思う。それぞれのMOTHERの捉え方がある。もしストーリーに正解があるならば、もしかしたら糸井さんだけがその答えを持っていて、我々の考察や辻褄合わせを遠巻きにニヤニヤしながら意地悪に眺めているのかもしれない。であれば私なりの捉え方で一言でマザーを言い表してみよう。

私にとってこのMOTHERは、人生の通過点で少し思い悩んだ時に励ましてくれたり、ちょっとした知恵を与えてくれた「道しるべ」のようなもの。

偶然にもそういうゲームに出会えたことが凄く幸せです。いつもは退屈だったデパートでの母の買い物に、あの日連れて行ってもらって本当に良かった。

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