すぐ無駄遣いします。小二の娘は先生に報告すると「すぐ先生に言う!」と言われたらしいけれど、パパは「すぐゲームを買う!」なのだ。
私が小二の頃なんてのは、どんなにそれがクソゲーであっても、せっかく手に入れたのだからと一生懸命遊んでいたものだ。それなのに、大人になった今は、お金よりも時間ばかり気にするから勢いで買っても生活の中でできることを選り好みするのだ、贅沢な話である。
申し遅れました、管理人でございます。
セールになるとせっかく買ったのにやらないゲームが増えます。この愚行を反省すると共に、次に活かすためにもなぜ自分はせっかく買ったにも関わらずプレイしないゲームがあるのか?深層心理に眠る自身の感情と向き合ってみたい。
見よ、これが衝動買いの瞬間だ!
先日ヤフーニュースでセールの記事が。
夏真っ盛り!
そんな誘惑には乗らないよ。
欲しいゲームは定価だろうが何だろうが、欲しい時に買うのが私の主義、私は意思が強いのだ。
買う。
あ〜、これ欲しかったの〜。
旧型機でもサマーセール!
ワンコインとか、買うよね。
後悔!
冒頭でお金よりも時間とか平然と申しておきながらセールに軽く乗せられるのだお笑い草でございます。
そうそう、Switchや3DSだけじゃなくて先日PS5を買ったのだ。ソフトもいくつか買った。向こう5年くらいはゲームには困らない気がする。
よし、PS5やるぞ!
先日PS5を早朝から並んでまで買ったのだ。
だがここで敢えてのジョギング!
夏って感じするわー
ファミリー同士で花火も楽しいよね
後悔!
せっかく買ったPS5にはすでにうっすらとホコリが付着しております。
小二の娘も夏休みに入り、お友達が家に遊びに来るようになりましたが、みんな食い付くのはSwitch。「PS5?ナニソレ?」みたいな反応なので、結局誰にも使われないままテレビラックに佇んでおります。小学生にはPS5よりもSwitch、キルフェボンのケーキよりもガリガリ君なのだ。
理由①旧作を現行機で動かす。ただそれだけに感じるロマン
何の話だっけ?そうだ、なぜゲームを買ったのに遊ばないのか?についてだった。
戒めとしてその理由と向き合い、自己分析していかないと、これから先もまた同じことの繰り返しだ。
まず、ソフトを最新ハードで動かす、それ自体が楽しい。
とりわけ旧作は昔のゲームなのに最新ハードで動かしてしまうことに対して、ハードのパフォーマンスを全否定するような、背徳感に似た感情が生まれてゾクゾクするのだ。
しかも最近のリマスターは倍速機能なんてものが当たり前に付いているときたもんだ。忙しい現代社会にマッチしたハイテク機能と言える。
うひょー
ゲームは、買ったからにはクリアするだけが楽しみじゃないのだ。
ちょっと前にはバイオハザード4のSwitchリマスター版も買って、今月は一番遊んでいたと思う。本編はもちろん、クリア後に開放される様々なコンテンツを全てクリアし、あらゆる隠し武器を全て開放した。
クリアするだけが楽しみじゃないよねとか言っておきながら、いきなりクリアしまくった話をしているけれど、大丈夫だろうか?夏だから良いか。
その②シリーズのファンとして、とにかく所持していないと気が済まない。
そのゲームを買うということは、シリーズのファンである証みたいなもんだ。
例えば、私はゼルダファンである。故に、シリーズは全て持っていなければファンを語るに値しない。それがリマスター版だったとしても。いつか真のゼルダファンにお目にかかった時、話に着いていけなかったらそこで勝負ありなのだ。(と、言いつつ現時点ですでに全シリーズプレイ済みではありません)
ファンを語るうえで切り離せない事例がジャニオタさんである。
ジャニオタさんたちはツアーで様々なグッズの売り上げに貢献し、ツアー終了後「買ってしまったクソダサゴミ選手権」なるものをSNSで公開しまくって、アドレナリンが冷め冷静さを取り戻したタイミングでハイになって買ってしまったをクソダサゴミグッズと認め、笑い飛ばし、一度心をクリアにするのだそうだ。
そういう後に残さない清々しさは、ジャニオタ先生方に学ぶものは多くありそう。ただし、アサインされた自担のメンバーカラー以外の服を着てしまうと村八分になり、噂ではトイレで禁断の儀式を受けるという我々メンズには決して公開されない厳しい掟があるらしい。
その③開発側への投資。
最後は意識高い理由だぞ。
ゲームを買うということは、すなわち作り手に対価をお支払いするということ。その売り上げがクリエイターの皆様の血となり肉となる。本当にお疲れ様でした。
ゲームを一本作り上げるのに、眠れない夜もあっただろう。
このワードはボディビル大会の代表的な掛け声だけど、言ってみればボディビル大会で選手と観客とが対話するように、ゲームを購入するということはすなわち開発側と我々消費者との掛け合いなのかもしれない。そんな大袈裟なものではないか。
あるいは投資、ご祝儀的に、応援の気持ちでお支払いすることで、やがて続編の開発へ実を結ぶかもしれない。逆に利益が出なければ続編など作れないのだから。
欲しいと思った瞬間、それがゲームを買う時。
ゲームに限らず、服にしてもそうだけど、買ったはいいけれど着ないことも多い。そういう失敗を繰り返して、人は成長して行くのだと思う(しまった、「失敗」って言い切ってしまった!)
テレワーク化において、飲み会の回数が劇的に減った。一度で少なくとも5000円は費やしていたけれど、それが無くなった今、他のことに費やしても良いじゃないか。外食だって控えているのだし。どうだろうか?
どうだろうかとか雑に問いかけてみたけれど、そんなことを考えていたら別にゲームじゃなくても何だって抵抗なく買う勇気が湧いてきたので、この勢いで北海道のホタテを買いました。
ゲームに囲まれていたい。この気持ちが心の平穏を保ち、また明日からの活力となり、仕事のパフォーマンスも上がってお給料も上がるのであれば、これから先の長い人生において無駄なものなどないのだ。
と、かなり無理なある正当化を試みてみましたが、当サイトも新作と合わせて過去に買った古作も突然記事にする場合がございますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
安いから取り敢えず買う→時間ないし、やる気力もないし、セールで買ったもんだからそこまでの熱意もない