乙女ゲーに登場する男性キャラクターはイケメンです。例えば、新撰組をモチーフにした「薄桜鬼」はどのキャラクターもとんでもなく美少年です。
そんな折に、たまたま主要キャラクターの一人である「斉藤一」の実際の写真を見る機会があり、びっくり仰天。乙女ゲーフリークでもそもそも乙女でもない私も、そのギャップにさすがに驚き震えました。このショックを誰かに伝えずにはいられないので、人気乙女ゲーと実際の写真とでギャップのあった「薄桜鬼」と「イケメン戦国」のキャラクターをいくつかご紹介いたします。
※諸説あります。
斎藤一(薄桜鬼)
居合の達人。土方曰く「刀を抜くと沖田総司と同じくらい強い」。寡黙な一匹狼で、部下が強敵に立ち向かった際に静止するなど、冷静な判断力と行動力を持ち合わせている。
沖田の死の直後に変若水を飲んで羅刹となり、沖田の刀と自身の刀の二刀流で敵陣に切り込み、生死不明となる。
クールなイメージの斉藤一ですが、実際の写真がこちら。
思ってたのと違う…
幕末期に新選組で師範を務める。明治維新後は警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。退職後、女子大(お茶の水女子大学)の庶務兼会計係を務める。
斎藤を生前よく知る者は「ふさふさとした眉、目つきが鋭く、背の高い男」と評している。
沖田総司(薄桜鬼)
新選組一番組組長の天才的な剣士。身長176cm。普段は飄々としており、主人公である千鶴に対してはやや意地悪な面も見せる。
近藤勇を尊敬しており、自分や他の隊士の悪口は許しても近藤の悪口だけは幼子でも絶対に許さない一途な性格。
左利きの斎藤一と並ぶ際に必ず右側に立つのは、相手の利き手と逆側に立つことで自分たちを囲む敵に素早く対処するためである。
男気あふれる沖田総司の実際の写真がこちら。
思ってたのと違う…
沖田の指導を受けた者によれば、「荒っぽくて、すぐ怒る」といい、恐れられていた。佐藤彦五郎の長男・佐藤俊宣の談話によれば、沖田の剣術の形は師匠の近藤勇そっくりで、掛け声までがよく似た細く甲高い声であったという。
死の際には、植木屋の庭に現れる黒猫を斬ろうとして幾度となく失敗し、己の衰えを痛感した沖田は付添いの老婆に「ああ、斬れない。婆さん、俺は斬れないよ」と嘆いたといわれる。
原田左之助(薄桜鬼)
新選組十番組組長で槍の名手。身長180cm。大雑把で少々喧嘩っ早いところもあるが、人情に厚く義理堅いうえ、察しの良い一面も持つ。腹に切腹の痕があり、さらしを巻いている。
綱道の部下たちと戦う中で腹部に致命傷を負い、永倉新八に会うために新選組の元へ戻ることを呟きながら息絶えた。
原田左之助本人の写真は見つけることができませんでしたので、息子の写真がこちら。
思ってたのと違う…
新選組として戦った後、近藤らと袂を分かち靖兵隊を結成する。ところが、江戸を離れてから「用を思い出した」と靖兵隊を離れて江戸に戻って別の部隊に加入してしまった。
上官に当たる武士と喧嘩をして「腹を切る作法も知らぬ下司め」と罵られ、カッとなった原田は本当に腹を切って見せた。傷は浅く命に別状は無かったが、その傷から、「死損ね左之助」と隊内でアダ名されたという。
長州のスパイだったという楠小十郎を背後から斬り殺して「あぁ、良い気持ちだ」と言って笑っていたので、あとで近藤勇に酷く叱られたと言われる。
徳川家康(イケメン戦国)
ひねくれ者の野心家で、権力を得るために信長と同盟を結んだ。忍耐強く、負けず嫌いで、弱いものが嫌い。
かたくなな態度の裏には、悲しい過去を隠しているらしく…?身長は174.1cm。趣味は実用書の読書。チャームポイントは「ゆるふわ猫っ毛」
実際の写真はこちら
思ってたのと違う…
家康に謁見した植民地政治家は、著作で家康の外貌について「彼は中背の老人で尊敬すべき愉快な容貌を持ち、肥っていた」と記している。
また家康のケチにまつわる逸話は多い。汚れが目立たないため洗濯の回数が減るという理由から、ふんどしは薄黄色のものを使用した。家来にもこれを強要したが、この命令にだけは従わなかったとされる。
また『三方原の戦い』で武田軍からボコボコにされた徳川家康は、恐怖のあまりウンコを漏らしながら浜松城に逃げ帰った。その際の自画像が上の「しかみ像」と言われている。
上杉謙信(イケメン戦国)
圧倒的なカリスマ性をもつ、「軍神」と呼ばれる男。
無類の戦好きで、自らの勝利を疑わない。義理堅い一面もあり、約束は必ず守る。お酒が好きで、やたらと人をお酒に付き合わせようとする。女性を突き放す態度には、何か理由があるようで…?
身長は176.2cm、血液型はAB型。趣味は城攻めシュミレーション、特技は剣術。「斬り合いはコミュニケーション」とのこと。
実際の写真がこちら。
思ってたのと違う…
好んで一間四方の城郭模型で遊んでいた。
近年の研究で遺品の甲冑の大きさなどから約156cmであったことがわかっている。当時の男性の平均身長は159cm程度であったため「小柄」であったことがわかっている。
酒好きで、味噌や梅干だけを肴に手酌で飲んでいたと伝わっているが、この塩分の過剰摂取と長年の飲酒がたたって、謙信は最終的に脳溢血を引き起こしたとする見方もある。
ウンコ中に厠(トイレ)で倒れ、そのまま亡くなったのは確定の模様。
石田三成(イケメン戦国)
算術に長けた、頭脳明晰な豊臣秀吉の側近。物腰が柔らかく、無自覚な色気で女性を魅了する。
戦術の研究が好きで、没頭するあまり生活がおそろかになることも…。戦では主に後方支援でその才を発揮する。
身長は175.0cm、血液型はA型。趣味は戦術の研究で特技は算術。チャームポイントは「天使スマイル」。
実際の写真がこちら。
思ってたのと違う…
三成が傲慢だったことを示す話が諸資料に記録されており、徳川家康にも横柄な態度で接したとされている。
三成が浅野長政と大坂城で頭巾をかぶったまま火にあたり暖をとっていると家康が登城してきた。長政は頭巾を取るように促したが、三成はそれをスルーして頭巾を取ろうとしなかったため、長政は怒って頭巾を取って火中に投じた。
また三成が家康といたとき、三成は杖を落とした。家康は杖を拾って三成に渡したが、三成は礼を述べずにこれを受け取った。
やはり偉人たるもの(外見的にも)多少変な所はあるもの。まさに事実は小説よりも奇なりといったところでしょうか。
ある程度光る部分を掻い摘んでまとめてありますが、もちろん素晴らしい活躍あっての偉人です。例えば上杉謙信の「敵に塩を贈る」話はいかにも日本人らしい粋な計らいで、私は大好きです。
イケメンか否かは置いておいて、そういった偉業を忘れてはいけませんね。
斎藤一の写真は偽物ですよ。
最近になって子孫の人が公開した本物の写真があります。調べてみて下さい。