私がレトロゲームを買う理由と目的を考えてみた。


時々レトロゲームのパッケージを買う。

でありながら、遊んでいるゲームは当然現行機のものが多いし、コレクションするほどのバイタリティも無い。中途半端だ。

今のゲームとどちらが楽しいか?と言われるとゲームにもよる…と言いたいところだけれど、やっぱり培ってきた歴史やノウハウがある分今のゲームに軍配は上がる。

だとしたらなぜ私はレトロゲームを買うのか?

その目的を明確化することで、もう少し計画性を持って買うなり遊ぶなりできるんじゃないか?

今こそ向き合ってみる時だ。

ゲームギアのレトロゲームパッケージ、酒を飲みながら愛でてみる。

「ガンプラは作らなくても良い。酒を飲みながら、ランナーを眺めるだけで癒される」いつだったか私の同僚がそんな話をしたことがある。

遊ばないけれど所持しているだけでその価値がある、という意味ではそれに近い感覚なんじゃないだろうか。

ということで、酒を飲みながら、所持しているゲームギアのパッケージを開けてみることにする。

ここ数年もっぱらダウンロード版になってしまい、パッケージも説明書も見る機会がめっきり減ってしまったが、確かに説明書はワクワクする。

その昔「ゲームは1日1時間だけ!」と言い放った高橋名人という男のせいで両親にゲーム時間を制限された世の少年は苦汁を飲まされてきたわけだが(名人には敬愛)その度説明書や攻略本で高ぶる気持ちを沈めていたものだ。

酒を飲みながら説明書を眺めるのは悪くない。あれから私も歳を取り、お酒を飲めるようになりましたよ、名人。

「友だちとクリアタイムを競うのも面白いヨ」

プレイヤーに語りかけるような当時の口調も味わいがあってよろしい。「馴れ馴れしすぎるからコンプラ的にアウト」とか「距離が近すぎてハラスメントに該当する」とか、今の時代だったら言われそうな距離感だろう。そんなことないか。

だがしかし飽きてきた。

今私は誰の目を気にすることなくゲームの時間を持つことができる。

というのと、酔っ払ってきたので説明書の口調とかイラストのテイストとかもうどうでもよくなってきちゃったよ、名人。

部屋に並べて楽しんでも、いつの間にか見向きもしなくなる。

パッケージや説明書を愛でるというのはどうやら私の主たる目的ではなさそうであることが分かってきた。

だとすると、部屋に並べてそれを眺めるのはどうだ。

飾っている時、そしてそれを眺めている時の喜びは一瞬で、時々眺めて恍惚とすることも特にない。どちらかというと並べる面倒臭さの方が強いように感じる。

結論:レトロゲームはリラックス。

並べることにも特段喜びを見出せなかったので、実際に遊んでみる。核心に迫れそうな予感がする。

面白い。

それなりに。

操作もゴールも分かりきっているので、新しい発見や得られる達成感や充実感は現行機のゲームの方が大きいのが正直なところ。故に、現行機のゲームは同時に緊張感もある。

一方で既に散々遊んで操作感もどんなエンディングかも分かりきっているレトロゲームは何も考える必要はなく、単調作業に。ところがその単調さにいつの間にか没頭していた。

リラックス状態である。

酔いが覚めてきたので、一度引っ張り出したパッケージを片付け、購入からパッケージの開封、実際にプレイして片付けるまでのプロセスを直感亭な気持ちの高まりでグラフに表現してみた。

過去プレイ済みのレトロゲームには「ありそうで無かった!」みたいな発見や、手に汗握るような興奮はまったくないけれど、ゲームなのでやはりプレイしている時にこそ価値を実感できる。そしてその価値とはリラックスなのだ。

「今日の気分はユーカリ」なんつって妻は寝室でアロマのフレーバーを焚く。それが私にとってはレトロゲームなのだ。「今日の気分はファミコン、明日の気分はゲームボーイ」なんつって、昔遊んだゲームでこれからも癒されることにしよう。何を言っているのか自分でもよく分からなくなってきたけれど、どうやらパッケージを揃えたりコレクションしたりする必要はなさそう、懐かしいソフトを見つけたら中途半端に買えばよろしいという自分なりの結論に到達できただけでも向き合った価値があると思いたいです、名人!

番外編:お酒を飲みながら、ガンプラのランナーを愛でる。

同僚が話していた「ガンプラは作らなくてもよい、お酒を飲みながらランナーを眺めるだけでも癒される」はどうなのか?最初聞いた時にこの人は何を言っているのだ?と理解に苦しんだが、私が先に語ったレトロゲームに対する思いも関心の無い方からするとキモい以外の何物でもないので人の嗜好なんてそんなもんですよね。

とにかく言われた通り、お酒を飲みながら積んでいたプラモデルを数年振りに箱から取り出してみた。

確かにトリコロールな色味を見るとガンダムという感じがしてワクワクする。こいつを組み立てることでZガンダムとなり、しかも飛行機に変形してしまったりなんてするのだ。

が、私はプラモのランナーを眺めて癒しの境地にまで到達することはできなかった。むしろ「時間を捻出して作らないと勿体ない」という焦りの気持ちが生まれてきてしまった。という意味では、プラモ愛もレトロゲーム愛もそのレベルまで到達できていないのかもしれない。けれど感じられる楽しさを限定してしまうのは勿体無いか。と思いながらプラモデルを片付けることにしたその時、

おいやめろ!

猫が箱の上に飛び乗って占拠。猫の重さで箱が弛む。

どうして猫って箱があると上に乗りたがるんでしょうね。

よく考えてみると、プラモデルも作っている最中はマニュアルの指示通り何も考えず夢中になって作ることができる。妻なんかは「面倒くさい」と話すが、黙々と無心で作業できるこの行為は、レトロゲーム同様私にとって癒しなのである。

プラモデルについてはいつかゆっくりと作りたいと思う。

作れるもんなら作ってみなよ。

この記事へのコメント

  1. レトロゲームでやりたいものは
    自分はバハムートラグーンかな最後までやれなかったのでヨヨの悪女っぷりを見たいです。

    1. コメントありがとうございます、管理人でございます。
      バハムートラグーンとても良いですよね。
      ヨヨの悪女っぷりもさることながら、オネエから不潔キャラまでメンバー全員キャラ立ちしているのが本当に素晴らしいです。悪ふざけみたいなノリとビジュアルが合っていないのが逆に印象に残ってしまいます。
      実はスーファミのソフト思わず買ってしまったので、いつか思い立ったように久しぶりにプレイしてみようかなあ。

      1. やってみたいな久しぶりに。しかしPS5とスイッチの積みゲーをどうにかせねば。

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